ジャズについて思うこと


ジャズと一言に言ってしまっても、何がジャズか、それを定義することは難しい。このページの内容についても、そんなものはジャズじゃない、という意見を持つ人もいるのだろう。

私は生粋のジャズメンではない。かっこいいと思った音楽はなんでもやる。だから、それがジャズじゃないといわれればそれまでだと思う。それでも、自分は自分なりのジャズをプレイにおいて心がけているようにしている。

ジャズって何なんだ。それは歴史を紐解けば、ルーツは見えてくる。でも、どこからがジャズなのかという境界線を引くことは難しい。人それぞれなのだろう。

でもなぜかジャズを志す人に多く見受けられる(と私が勝手に思っているだけかもしれないが)傾向に、”あいつはジャズじゃない”とか、他のジャンルの音楽をやろうとすると、”そんなちゃらちゃらした音楽をやるな”という意見や雰囲気が見受けられることだ。音楽とは変わり続けるもの。ジャズは特にそれが顕著な音楽だと思う。チャーリーパーカー以前の人にとっては、彼の音楽は革新的で、それまでのジャズではないものに映ったはずだ。だが、今、ビバップをジャズではないと言う人はいない。そこから派生していったさまざまなジャズだってそうだ。何がこれからジャズとなっていくのか?それを決めていくのは、保守的な人間ではないのだ。

だから、こいつはジャズじゃないからだめだ、という人の意見は少なくとも賛成はしない(そういう意見があるのも一つだとは思うが)。古き良きジャズが一番好きで、それを目指してがんばるのは正しいと思うが、他人を否定する姿勢からは何も生まれないのだ。新しいものを受け入れ、その中からだらなる発展を目指せばいいのではないだろうか?そう考えることによって、自らの音楽を高めていくことも出来るはずなのだ。だが、悲しいことにそうでない人が多くいるのも事実なのだ。

私はラテン音楽のバンドに在籍している。ラテンもある意味、ジャズの要素が生きている音楽だと思っている。根底にあるのはダンスミュージックだが、アドリブなど、ジャズのビックバンドから多大な影響を受けている。ラテンアメリカの国々が、自国のリズムとジャズを融合させながら、音楽を作っているという面がある。また一方、ディジーガレスピーなど、バップムーブメントを作り出したジャズメンたちは、アフロキューバンリズムを取り入れ、またボサノバのリズムもジャズではよく演奏される。相互に影響し合っている音楽で、あんなものはジャズではないからだめだ、とは思わない。

(脱線)
一部の掲示板にラテンはだめだという意見が飛び交っている。まあ、勝手にやってくれればいいのだが、あからさまに否定してくる人もいるようだ。こちらはホームページも作って、名前や顔も公表してやっている。文句があるなら、堂々と言って来ればいい。メールでもいい。意見は人それぞれ違っていい。だが、顔の見えないところで、相手に迷惑がかかることをやっていいという法はない。私個人を攻撃する書き込みを行っている人もいるらしい。私の知り合いから教えてもらって、初めて知ったのだが、私の発言やバンドをにおわせる人物が、あちこちに他人の気持ちを逆なでするような発言を繰り返しているらしい。彼は私が掲示板を荒らしていると思い、驚いて注意しにきたのだそうだ。ここで言っておきますが、私はそういった書き込みについては一切、無関係です。あまりひどいようだと、法的手段(名誉毀損など)も考えますので。

じゃあ、お前のジャズって何なんだ?という意見が出てくるのだろう。難しい質問で、よく考えてみる。そんな中、今の自分の中での、ジャズという音楽の定義は、”毎回、新しいこと”ではないかと思っている。

アドリブであっても、リズムのフェイクであってもいい。前回と違うメロディやリズム、楽譜どおりでないプレイがあることが、ジャズではないかと思う。逆に完全に書かれたとおりの譜面を演奏する音楽はジャズではないと思う。こういう言い方だと、スゥイングの名曲や、箱バンの演奏などは、ジャズに含まれないことになるが、ある意味では、そうではないかと思う。少なくとも、私はジャズに常に目新しさを求めている。昨日とは違うサプライズを求めているのだ。だから、スリリングなアドリブにわくわくするし、ボーカリストの譜面の枠を超えた歌いまわしに感動するのだ。だから、そういった新しさを感じることの出来る音楽はジャズだと思う。このページで、扱うのもそういった音楽だと思う。

アドリブについても、ジャズだから、ロックだから、ラテンだからというくくりで別物として扱うつもりはない。基本的にアドリブの奏法というのはどんな音楽でも共通で、演奏する側にスタンスの違いはない。同じように演奏するし、どちらに優劣があるというものでもないと思う。個人的には常にいい音楽を聴いたり、演奏したりしたい。常にサプライズを与えたり、もらったりしていたい。それが自分の中のジャズではないかと思う。問題は、自分の演奏力がいつまでたっても向上していないことなのだが。